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修了生論文

自社分析と経営理念

東京校 (T-college) 渡辺 岳央株式会社鳥海建築設計事務所 代表取締役社長)

1章 研究動機

私は生活していること全てが仕事に繋がっていると意識しています。
通勤時間、友人との会話、草野球に参加、プロ野球観戦、テレビ観賞、読書、買い物などの外出、家族と過ごす時間、寝ること、シャワーを浴びていることも仕事の為の思考時間です。8時間労働、週休2日ではなく毎日が仕事に繋がった生活をしています。

 

一見無関係だと思われる出来事でも私の中では仕事に置き換えて考えています。建築という仕事は生活を知る必要があります。新しい技術、新しい生活スタイルもどんどん出てきます。建築法律の仕事をメインにしているので様々な法律の組み立て、倫理観も考えます。事業主としても大小係わらず他社の経営、他業種からの新しい仕事に繋がるアイディア、チャレンジする勇気、慎重さ、営業力、財務の知識など吸収したい事ばかりです。

 

知識、説得力、整合性、正確さ、人として魅力がある社長が存在することは社員にとってもプラスにしかならないと私自身の社内的な存在感についても意識しています。
365日間、私が感じ考えていることがあるように16人の社員にも365日の思考、育ってきた、過ごしてきた私生活と仕事経験のバックボーンがあります。私自身の考えが固まらず相手の考えもしっかりと把握せず安易にリーダーとして一方的なメッセージを発信することは、独り善がりになって反って不信感など逆効果にもなりかねません。伝える難しさがあるので今までは1対1や少人数で話し合いをしてきました。しかし少人数に共感を得てもその先の社員には伝わっていないと感じることが多くなってきました。更なる社内の一体感を出す為には、私から全員に対して同じメッセージを直接発信し続ける方法が必要だと考え始めています。

 

私が入社してから25年近く経ちますが社内の人は創業者である父の働く姿を私と一緒に見てきた同志ばかりでした。明確な指針はなくても各自の経験値で目先の事態を各自が都度それぞれの判断をして対応してきました。父の働く姿を知らない世代が増えていく現状をみると何らかの指針を掲げる機会がきているのかもしれません。我が社に経営理念を掲げることが可能か、我が社にはどのような経営理念が適しているのかという視点での研究、精査を行なうことが、我が社の過去、現状、未来を考えたり知ったりすることになります。その作業がこれからの鳥海設計で働く上で私にとっても社員にとっても今後のバックボーンとして役に立つことになると考えます。

 

 

2章 現状分析と評価

 

1節 現状分析

1項 創業者である父
創業者である父に経営理念の有無、見解について質問しました。
「ん~・・・ない!経営理念なるもの過去に度々まとめようとヒネッタ事がありますが、メンバーが総トッカエ等で空しくなりまとまりませんでした。後手に廻らない為にも“独り善がり”に為らぬようなものにまとめて下さい。安定した会社の礎を築くチャンスと思います。何より“人事の安定”を最優先に考えて下さい。」

 

2項 会社の生い立ち
測量事務所に勤務していた父(29歳)に大手不動産会社から建築申請業務の話がきた事から45年前(1972年)に鳥海測量から個人事業主として独立。5年後(1977年)に株式会社化して鳥海建築設計事務所がスタート。当時の世相は住宅着工数が多く我が社への仕事量も多かった。人件費は現在より安く、建築申請手続きも今より簡素なモノだった。建築設計事務所に勤務する人は若いうちに経験を積んで将来は独立するのが当たり前という時代で5年もすると退社する社員が多かった。

 

我が社の業務内容は他の設計事務所で作図した建物図面の表紙として書類を作成・添付して役所に提出すること。仕事を依頼してくれる大手不動産会社の責任者が「協力会社の発展が自社の発展に繋がる」と考えて作業単価も高めの設定で好条件。父は設計事務所の開設者という経営者であり建築士免許をもっていないので有資格者を常に雇い続ける必要があった。24年前(1993年)にバブル崩壊の平成不況で退社希望者を募り5人退社。
その時、人手不足になり20歳の私(長男)が入社。20年前(1997年)にも消費税増税などの第二期平成不況で人員削減を行なうなど苦しい時期を迎えた。12年前(2005年)に創業時から売上90パーセント近く占めていた依頼元の不動産会社の業務変更により取引がなくなった。売上が大きく落ち込む厳しい事態になり自社の業務内容を申請書作成のみから図面作成にも拡大。図面作成担当者を10年間で3人から8人へ増員するなど仕事量減少を自社の体制改革で取引先拡大に繋げた。
9年前(2008年)にリーマンショックの影響で売上が前年比3割減、前々年比5割減と2期に渡る危機を迎えた。その時は父が「本当の会社の危機は売上の浮き沈みではなく人材の流失だ。浮上するチャンスが来た時に優秀な人材がいなければ仕事を逃すことになる」と判断し人材のリストラはせずに自らの報酬カットをメインとした役員報酬、人件費、経費削減など支出を見直す乗り切り方法を選択した。8年前(2009年)に36歳の私が社長就任し66歳の父は会長就任し現在に至る。その後は消費税8%への引き上げ前後の駆け込み需要と落ち込みによる影響で2014年度の売上減はあったものの、私が社長就任以来、概ね6期連続で売上上昇。就任1年目比で昨年(2015年)度売上は194%と回復基調にある。

 

3項 私の生い立ち

私が生まれた頃に父が独立したので幼少期から経営者の息子として過ごしてきました。会社の経営状況の浮き沈みや社員の退社などの不安を社員の前ではなんとか隠せても家では隠せない父の姿、そんな父と一緒になり心配する母の姿を目の当たりにしてきました。概ね恵まれた生活は送らせて頂いたが一寸先は闇だという安定しない経営者家族としての生活が身に染みて育ってきたので未だに贅沢なお金の使い方は出来ない。社員とその家族の生活を預かる責任のある社長とは偉い人という印象よりも責任が非常に大きい苦労する損な立場だと感じていました。経営者にはなりたくないと中学生の頃には思っていました。

 

経営者家族という環境ともう一つ野球が私の人格形成の要因になったと説明が出来ます。小学4年生から軟式少年野球、中学軟式野球部、高校一年終わりまで硬式野球部に所属して活動していました。監督やコーチは野球の技術だけではなく生活や心構えまで指導してくれる尊敬できる大人ばかりでした。
一方で中学生・高校生の頃から教師に対して単に教員資格を持った職業の単なる大人である。それどころか学校という閉鎖された中で生活している世間知らずの教師もいる。尊敬に値する教師はほとんど居ないと決めつけるなど冷めた感覚も芽生えていました。そんな私にとって野球の指導者は尊敬できる絶対的な存在でした。
「練習は世界一下手だと思い励み、試合は世界一上手いと思って望め」という指導は謙虚さと自信を持つことの大切さを学びました。軍隊のような体力的に厳しい練習を経験して仮に時給1万円でも2度と厳しい練習はやりたくない。それに比べてクーラーが効いた場所で時給580円貰えるアルバイトはなんて有難いのだろうとか、どんなに苦しい仕事でもあの練習に比べれば乗り越えられると何度も心の支えになりました。

 

またプロ野球観戦のデータと情報集めが趣味になったので小学5年生の頃から駅売店でスポーツ新聞を買って学校へ持っていき、休み時間に読む子供らしからぬ姿は“新聞少年”と呼ばれるほどでした。
プロ野球界の動きで社会、組織、チームの仕組み、選手や監督や裏方の人生を学び、新聞や書物を読むことは社会情報や日本語に触れるきっかけとなり、自らデータを集計することで考えることや根気が養われ、ワープロやエクセルなどを使ったことが勉強や仕事に役に立つこともありました。

 

社会人になって仕事が落ち着いてきた30歳の頃から草野球を始めました。部活で練習中心の厳しい野球しかやったことがなかったので試合の楽しさにはまりました。6チームに所属して多い時には年間200試合を超えるほどこなしました。競技することだけではなく仕事以外の仲間と社長の息子という肩書は関係ナシの交流も財産でした。

 

草野球に慣れた頃からは監督として新チームを立ち上げ7年間ほど運営することもありました。私が監督兼任選手でありメンバー15人というのは会社と同じ状況でした。私がチームを引っ張り、勝利を目指す環境作りは苦労もありましたが会社経営の実践練習にもなると意識し一人一人を観察しながらメンバーと接していました。渋谷区大会でベスト4に入る強豪企業チームとも互角に戦えるくらいの戦力が揃っていたので勝つことに拘ることでプレッシャーにつぶされそうになる選手もいました。休日に自らお金を払って厳しい環境に参加するという草野球における人の動機づけと給与が発生してしまう会社における働く動機づけは何だろうかと比較しながら、いろいろ考え勉強をさせられました。

 

そんな野球オタクが建築の道へ進むことになったのは高校生の時の選択から始まりました。特に希望する職種はなかった私は身近な存在である父から先輩として意見を貰える建築の道へ進むことが合理的であると考えました。将来は父の会社へ就職するとか後継者になるなどという考えはその時の自分にはありませんでした。専門学校の終わり頃には父の知り合いの設計事務所に就職することになっており卒業前からアルバイトとして働き始めていました。
しかし父の会社の人員削減をキッカケに人手不足となり専門学校卒業後の5月に私は親の会社に入社しました。入社当時は父と私以外の社員は8人と現在の16人にくらべて半分。20歳の私からみれば全員年上でしたが最年長者は35歳、平均26歳という現在平均37.5歳と比較すると約10歳も若い先輩社員ばかりでした。
高校時代からファミレス、コンビニ、警備員、缶詰工場員などのアルバイトを経験しました。アルバイトとはいえ周りの人の事を考えて責任をもって仕事をすることを心掛け、辞める時には引きとめて頂けるくらいの評価を得ることが出来ました。
父の会社に就職して社長の息子だからということで社員は私と一緒の場では会社の悪口は言えませんし、会社から平等な評価を得る事が出来ない、他の社員には退社するという選択肢が私よりも強く持って働いているのは当然で完全に同じ気持ちでは働く事は不可能であることを感じて孤独に思う事もありました。
反面、私個人の評価や収入を気にすることなく会社にどんどん貢献する仕事をすれば渡邉家の生活を守ることになるということは、無心に働き邁進する原動力となっていました。そんな特別な境遇だと私は意識していましたが、父や他の社員から特別に後継者として扱われて教育されたりすることなく、他の社員と変わらない仕事を担当してきました。

 

4項 父と私

私の祖父は父が生まれる前に戦死しています。母子家庭の末っ子として一番上の兄を父親代わりに岐阜県の片田舎で父は育ちました。
幼少の頃は体が弱く小学校に通えないほどだったそうです。田舎という勉強が盛んではない環境ではあったが高校生の時に全国模試でトップになったことがあるほど学業優秀だったそうです。しかし体調不良により志望大学の現役受験を失敗。
浪人生活の為に上京したが生活費を稼ぐアルバイト生活に没頭。29歳で鳥海設計を設立しました。兄に資金的な迷惑を掛けられず浪人は出来なかったが良い大学へ行ける力はあったとか、田舎育ちで上京して苦労をしたが仕事でのし上がったとか自慢するような内容の思い出を明るく話しすることは多いが、母子家庭で育った境遇が苦しかったなどと悲壮感あるような思いを息子の私に話す事は無いです。
都会で両親が揃った家庭で健康に育った私とは境遇が全く違います。学業でもスポーツでも抜きんでた面もなく性格的に積極性もない私に対して父は物足りなさを感じていたはずですが強く叱られた事や小言や厳しい意見を言われた事は、子供の頃も会社に入ってからも私の記憶にはありません。現在、私には小学校に上がる前のやんちゃな息子が2人いるので黙って見守ることは難しいと実感しています。社員にも母親にも口煩い父が息子の私のことだけは見守り続けていた事については感心と感謝をしています。
そんな父から唯一私が導かれたことは一級建築士資格の取得についてです。受験には実務経験が必要なので社会人になってから若手で仕事を覚えなければいけない時期に勉強時間を確保することが難しい。試験日が近づくと私が仕事量をセーブして勉強を優先していることを見逃して社内で配慮してくれていたのは父の特別扱いでした。経営者自身が一級建築士免許を持っている設計事務所であることが私にとっても社員にとっても会社の将来に大切なことだと、自身では資格を持つことのなかった父にとっては悲願だったのです。今、私は社長としては資格よりも大切なのは真の技術力、人間力、経営力だと考えています。それは今の私が免許を持っているから言い切れることです。免許を持っていなければ経営をしながら未だに受験勉強をしていたかもしれませんし、一級建築士を雇って経営することは費用負担が増え、他人の免許を使って仕事を進める事は気も使うことになり、資格無社長ではプライドも自信も保てないという苦労があっただろうと考えられます。建築業界の先輩からのありがたいアドバイスでした。

 

第2節 評価

1項 会社の目的
私は現在会社にいる仲間と“日々にこやかに生活を送る事”が1日でも長く続けば良いと考えています。それが私にとって鳥海設計が存在する意義です。
 

2項 会社の力
鳥海設計という集団を維持し守り続ける為には社員とその家族の生活を守ること、金銭的な裏付けは必須条件です。会社の生い立ちを検証したことで消費増税やリーマンショックによるマクロ経済の不況は取引先である不動産業界、建設業界に悪影響を及ぼし時差はあるが必ず売上減少という会社存続の危機が訪れている事が解りました。今年になって新たに就任したアメリカ大統の発言や政策が影響してトランプショックという経済不況が起きるかもしれません。経済不況が起きるのであれば父の存在、信頼出来る年上社員、優秀な若手社員がそろう今のうちに来て欲しい、消費税を10%にするなら今のベストメンバーがいるうちに先延ばしせずに実行して欲しかったと公言するほど自信をもっています。残念ながらメンバーは徐々に入れ替わるので近い将来には今よりもリーダーとして私の力に依存する形で“会社は存続出来る”と言えるように私は力を伸ばす必要があります。私がリーダーシップを発揮する為に重要なことは力を合わせられる仲間の存在です。動機は社員それぞれ違ったとしても一人でも多くの社員が鳥海設計という集団を守り続けたいと希望してくれる事が必要だと私は考えています。
 

3項 社員の決断
日常に社員が何を感じて働いているのかが、いざという危機が訪れた時、社員が会社を守るために一団となり行動をとれるのか否かに直結します。鳥海設計で働きたいという動機は会社・社長に対する信頼、社員同士の関係、担当する業務に対する責任やプライドややりがいが考えられます。私がいくら考えて、会社に尽くしてくれるように策を講じたとしても他人の心を直接コントロールすることは出来ません。
鳥海設計で働き続けるのか否かを決めるのは社員の個人の自由意志だからです。私から社員に好かれようだけ行動することは社員から意味のない浅はかな行動だと見透かされてしまいます。私からの一方的な押しつけは社員を信頼していないことにもなってしまいます。鳥海設計で働くと決断していない社員には私から効果的な協力は出来ません。私は経営者としてはダメなほど社員の為に力になりたいと内心は考えています。一人一人の社員が鳥海設計で一生懸命に働きたいと決断してくれればお互いの信頼関係を築いた上で協力が出来る集団になると考えています。全員が前向きな意志を持って行動できる集団である事が大切です。
 

4項 社員との接し方
現在、社員16人の指示系統は50代男性リーダーAが図面作成の男性6人、40代女性リーダーBが書類入力の女性6人を束ねる形の2チームがあります。他に取締役の50代男性Cと技術指導員役の60代男性Dが部下なしで単独業務をしています。私がA、B、Cと相談して売上対策を行ない、チームの進め方はA、Bから現状報告を受け、私が考える主旨や手法をA、Bに指示します。私の言葉を上役2人が咀嚼して部下をまとめています。
案件によっては私と組む社員へ直接指示する場合もありますし全社員に対して日々の挨拶や声掛け、年2回の個別面談を行なうこともあります。それ以外の時は私が社員に直接指示することは原則ない形をとっています。私が直接指示をしないのは、給与を払う立場と仕事を指示する立場は違う人間の存在の方が社員にとっても良いと考えたのと、実務を理解している直属の先輩を上司にして社員管理も任せた方がスムーズだろうという2つの考えからです。父が口煩く直接指示をしていた時よりは社員が自ら率先した行動してくれています。
 

5項 伝達
私が社員に伝えたい事は上役2人を通しています。実際には内容が薄くなったり全員に主旨が伝わっていない、そもそも内容が変わってしまうこともあります。私はそれも良しだと考えています。上役2人が私の伝えたい事を理解したうえでより適している考えた内容に敢えて変えている場合もあります。私が上役2人に内容を伝え切れていない為に伝わらない時は不適切な内容だったいうことです。理解しにくい未成熟な形で全社員に伝わる事が回避されて良かったと考えます。どうしても社員に伝えなければならない内容であればもう一度考え直して上役2人に伝え直せばいいのです。
 

6項 社員に求める事
失敗は必ず起きてしまいます。私は失敗した時に後悔をしないように全ての物事に取り組むことが大切だと考えています。失敗が起きた時に後悔するような進め方をすることは相手に対して失礼な事です。自分の責任でしっかりと判断して進めたことであれば失敗した時に言い訳をせずに素直に謝り反省することが出来るはずです。事前に相手に確認をとり十分に準備して慎重に進める、十分な作業時間が確保出来ない場合にとりあえず完成させることを優先する、人に任せる、人から頼まれてやむを得ず引き受ける、どんな場合でも自分で判断して責任を負っているのです。無意識に流されて進めた時に起きた失敗は後悔になるのです。無意識ではなく意識して考えて進めることが重要です。「なぜ?」と聞かれた時に理由を答えられるように私は意識して行動するように心掛けています。社員にも何故そのように判断したのか問われた時に良い意味での“言い訳”が出来るように意識して考えた行動して欲しいです。それが出来ている社員の失敗であれば私は全力で守ります。意識しないで失敗した社員がいた場合は意識することを徹底出来なかった私の責任です。
 

7項 決断と責任
私の考えが会社の考えだと言い切ってしまうと自惚れているようなイメージになってしまいますが自惚れではありません。私が全社員の事を考えて決断する事はけして独断ではないと考えています。なぜなら社員では解り得ないこと社員では見えない事を社長である私は把握できる立場にあります。よって私には会社の事を決断する責任があるのです。
 

8項 信念
人の為に私は力になりたい、たとえ感謝されなくても相手が喜んでくれることが私にとっての喜びです。押しつけがましい自己満足かもしれませんが自己満足する事は人が生きていく上で大切なことだと私は考えます。普通に生活していても人の力になれるようなことはそうそうありません。仕事をしていると何かを求めている人の為に私が力になれることが多くあります。幸にも私には理不尽な事を押しつけてくる上司はいません。私はただ人の役に立つことだけを考えて行動していればいいのです。プロ野球選手のことを好きな事を職業として食べていける幸せな職業だと言いますが、私も好きな事を仕事にして食べていける幸せな職業についています。
 

9項 経営理念
全社員が会社と仕事が好きだと心からと思ってくれるのか解りませんが、依頼者の期待に応えようと仕事をしている社員は多いと感じています。まだ経験が少ない社員は先輩に少しでも楽をしてもらえるようにと頑張っています。社員がプレッシャーやストレスを感じながらも仕事をしているのは自分を求めてくれている人の存在があるからです。役に立ちたい、喜んでもらいたいというのは人であれば誰しもが持っているものです。人に尽くす為には自らの知識・スキル・経験を高め信頼を得続ける必要があります。常に自分を高める意識を持って行動することは人の為になるのです。よって私は「人のために尽くす」という言葉が鳥海設計にとって相応しいと考えました。

 

 

3章 今後の取り組みと監査手法

T-college2期生として会社経営に必要なことを広く学びました。その中でも“経営理念とビジョン”については考えさせられました。40年間、目標やビジョン、事業計画ナシで“何もしないことによってもたらされる姿”のままで生き延びてこられた我が社には縁遠いことでした。それでも“目指す姿”は私の中には強くあります。そして社員の中にも“目指す姿”はきっとあるはずです。我が社の“目指す姿”は何なのかを具現化することは可能なのではないかと考えられるようになりました。社長の私から全社員が鳥海設計の存在意義について考える機会を企画します。3カ月計画で話の内容を煮詰まるように仕掛けを考えます。鳥海設計の“目指す姿”は何か。鳥海設計が「人に尽くす」ことを常に意識した行動を出来るようになることが理想の姿です。
先ずは社員アンケートや少数面談などで考える事を促し、チーム毎のミーティング開催を進め、どの枠組みの社員ミーティングでも働く事の意味や経営理念を考える環境を促していきます。半年後の6月までに“目指す姿”が社員の共通認識となることを期限とします。
11月には設立40周年が始まるので経営理念が社員にもよく認識された状態で社外にも発表出来るようにします。40周年記念ノベルティーグッズ若しくは年末配布している手帳、年賀状に経営理念を掲載して配布します。

 

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